紀元前3650年頃にエジプトでゲべレインとヒエラコンポリスが争いました。ゲべレインは舟でナイル川を南下し、ヒエラコンポリスに上陸し、ヒエラコンポリスを打ち破りました。"Wall painting from Tomb 100 at Hierakonpolis," "The Gebelein painted linen," "White cross-lined ware from Gebelein (?)" にそのときの争いが描かれています。
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C-Ware bottle, Gebelein (?), Naqada IA-IIB period © Ägyptisches Museum und Papyrussammlung
「カバ」(ヒエラコンポリスのエリート)vs.「クロコダイル」(ゲべレインから来た王)
ゲべレインから来た王: Mummy S. 293 (Museo Egizio, Torino)
Mummy S. 293 (Museo Egizio, Torino)は、おおよそ紀元前3650年から紀元前3500年頃の男性(20歳から30歳)です。遺体処理に使われた「防腐剤」の分析結果は、複雑な混合物であることが判明しました。植物オイルをベースとし、微量の加熱した針葉樹の樹脂、芳香植物エキス/「バルサム」、植物ガム/砂糖で構成された混合物を使ったエンバーミング(防腐保存処置)によるミイラです。
Mummy S. 293 (Museo Egizio, Torino) は、古代ギリシャの叙事詩『イーリアス』のアキレウスのモデル
ヒエラコンポリスの王 (?): HK6(エリート墓地)72号墓に埋葬された若い男性
HK6(エリート墓地)72号墓に埋葬されていたのは、死亡時17~20歳の若い男性で、骸骨は散乱し、墓の床からは指の一部と骨盤の一部だけが発見されました。男性は埋葬後まもなく墓から引きずり出され、遺体と墓の上の木造建造物に故意に火がつけられ、この男性に対する何らかの復讐行為だったと推測されます。副葬品から、この墓はおおよそ紀元前3700年から紀元前3600年のものと推定されます。
HK6(エリート墓地)72号墓に埋葬された若い男性は、古代ギリシャの叙事詩『イーリアス』のパリスのモデル
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"Hippo comb" from HK6 Tomb 72 at Hierakonpolis |
「カバ」の飾りを付けた櫛は、HK6(エリート墓地)72号墓に埋葬された男性の骨盤の残骸の上で発見されました。
古代ギリシャ語で「馬」= "ἵππος" (hippos)
Hippopotamus (カバ) = hippos (馬) + potamos (川)
ヒエラコンポリスのHK29A(神殿地区)は、500年以上(ナカダIIA ~ 第1王朝時代)使用され、数回の改修を経て、長さ45m、幅13mの壁に囲まれた楕円形の中庭の一部で構成され、その南側には、アカシア材の4本の巨大な木柱と8本の小さな木柱(2列に配置)で囲まれた記念碑的な門がありました。
「神殿」はシュメール語で「E」 (楔形文字の「門」)
「門」はシュメール語で「kan」
「漢の時に朝見する者あり」(魏書東夷伝倭人条)
ヒエラコンポリスの HK6(エリート墓地)は Wadi Abu Suffian にあり、HK43(労働者墓地)は Wadi Khamsini に隣接する南側の境界にありました。
「倭人」= Wadi (?)
「倭奴」= ヒエラコンポリスの非エリート、労働者(実際はゲべレインから来た人々が中心)
「倭奴國…倭國之極南界也」(『後漢書』東夷伝)
ヒエラコンポリスのHK43(労働者墓地)は活動期がおおよそ紀元前3650年から紀元前3500年まで
HK43(労働者墓地)Burial 120 は円形の墓で、女性(30~45歳)が両腕を胸の上で交差させ、樹皮のパジャマを着た状態で埋葬されていました。樹皮はボスウェリア(乳香)の可能性が高いです。頭蓋骨の周囲を調べてみると、頭蓋の半分が欠けていました。少し離れた場所で発見された破片で頭蓋骨を復元した結果、女性は左後頭部を強く殴打されていました。治癒の形跡がないことから、この傷が死因と思われます。墓は乱されていませんでしたが、陶器は割れて遺体の両側に散らばっていました。
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HK43(労働者墓地)で発見された3体のミイラ:
Mummy HK43 Burial 71 は若い女性(彼女は髪を短くしていたため、当初は男性だと勘違いされた)で、8つの壺と一緒に埋葬されていました。彼女の頭の後ろにある壺には丸いパンが入っていてましたが、籾殻が主成分で、実際の穀物はほとんど含まれていませんでした。彼女の体はリネンの覆いで覆われていました。
Mummy HK43 Burial 16 は女性(30歳以上)で、長い髪の保存状態は良好でした。他の埋葬者とは異なり、髪に大きなリネンパッドの塊が付着していることから、頭部全体にパッドが施されていたようです。このパッドをを取り除くと、薄くなった髪を補うために、彼女自身の髪をエクステンションで丁寧に結び付け、中央がかなり盛り上がった、かなり手の込んだヘアスタイルがあらわになりました。これは生前に行われたものなのか、死後の処置なのかは不明です。
Mummy HK43 Burial 85 は若い女性(16~20歳)で、頭周りのリネンパッドを取り除いた結果、ナチュラルウェーブの肩までの長さの髪があらわになりました。他の2人の埋葬者とは異なり、彼女の喉には切り傷の跡がありました。彼女の埋葬品に墓用品はなく、膝の間から見つかった丸い陶器の破片が数個と火打ち石の破片だけでした。
Mummy HK43 Burial 16 はゲべレインから来たヒエラコンポリスの女王 (?)
「倭」は「亻」「禾」「女」であり、ヒエラコンポリスの女王は、枝を持った姿で現されることがありました。「亻」は "was-sceptre" と呼ばれる杖に似ています。
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Wall painting from Tomb 100 at Hierakonpolis, ca. 3500-3200 BC |
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Statue from Ishtar temple, Mari, 2500-2340 BC © Musée du Louvre |
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Book of the Dead of Her-weben-khet, Bab el-Gasus (Egypt), 1069-945 BC © Egyptian Museum, Cairo |
「下戸與大人相逢道路」(魏書東夷伝倭人条)
「下戸」= gecko (?)
「杖 (stick)」は女王ではなく Mummy S. 293 (Museo Egizio, Torino) に属したものです。(イタリア・トリノにあるエジプト博物館で一緒に展示されています)
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Oracle bone, late Shang dynasty (ca. 1200-1050 BC) © National Museums Scotland |
「亻」 |
December 26, 2024 Takahiko Nakagawa